日本三大桜の名所に数えられる弘前城や高遠城(残るひとつは吉野山)のように、「城と桜」の組合せは今や欠かせないものとなっている。春になると各地の城跡で桜祭りが催され、多くの人たちが雄大な天守を背景に咲き誇る、美しい桜を見るために城を訪れる。件の弘前城で開催される「弘前さくらまつり」は、毎年200万人もの観光客で賑わうという。

こうしたことから、城といえば桜という印象が少なくないが、現在のように城に桜が本直えられるようになったのは明治に入ってからのことである。それ以前は、燃料や食料に適した「松」が多く植えられていた。松が食料というのはぴんと来ないかもしれないが、松の皮から取り出した繊維で、餅や団子が作られていたのだ。

ほかにも直江景綱は、実が食べられる柿や栗の植樹を推奨していたとされる。つまりは、有事に備えた実用的な植物が植えられていたのである。それが明治に入り観賞用の桜に取って代わられたというのは、城としての本来の役目を終えたということなのだろう。もちろん桜が植えられるようになった理由はほかにもある。明治6年(1873)の「廃城令」以降、残された城跡の管理が課題となった。放って置いたのでは、雨風による風化で土塁や石垣が崩れてしまうからである。そこで、手入れの簡単な桜を植樹し、城跡とともに管理するようになったのだ。

なお、日本経済新間が選定した「桜が似合うおすすめの城」ランキングによると、1位は弘前城、2位は姫路城、3位は高遠城となっている。

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