合戦時の城の役割

領地の支配や防備など、城郭はさまざまな役割を持つ。江戸時代までは一城だけで運用されるわげではなく、領地内には複数の城があり、それぞれを継ぐ道路や情報網が整備された。

城のさまざまな活用方法

城は、共同体を外敵から守るために柵などを造ったことが始まりとされている。時代が進むと城は、国を支配するための拠点となったが、本来の目的である戦いにも使用された。高いところに城を造るのは、見晴らしゃ攻撃に便利だからだ。また、立て龍もるにしても有利である。

本城だけでなく、支城と呼ばれる城も造られた。これは、領国支配において、目の行き届かない場所などをカバーするためのものである。戦いの場合には、本城をバックアップする。本城と支城との連絡のために街や道が整備された。同時に狼煙も使って連絡をとっていた。

逆に城を攻める場合には、陣城や砦と呼ばれる小規模の臨時の城を、敵の城を囲むように造る。こうして、敵の城が外部との連絡が取れないようにし、城内の兵糧が切れるのを待つのだ。こうすれば城への損害を少なくすることができ、奪った城を自分の城として再利用することができる。

自分の領地を増やすためには他人の領地を奪うことになる。目指す領地にある田畑も城もなるべく無傷で手に入れたい。戦いになればせっかく手に入れた田畑からの収穫が期待できず、城も利用することができないからだ。なので、戦いは回避される方向で行われ、万が一戦いになった場合にはなるべく被害が少ない場所と時期に行われた。城を攻めるのは戦いの最終局面で、しかも、窓w抗戦までもつれ込むのは珍しいことであったといえるだろう。

後世に名を残す武将の中には、戦いの際に、城をうまく使うことで、勝利を手元に引き寄せた者もいる。

例えば山内一豊は、関ヶ原の戦いの前に居城の掛川城を徳川方に明け渡した。こうすることで、豊臣方から徳川方に乗り換えた決意を示したのだ。彼の姿を見て他の武将が追随したという。戦いの駆け引きの道具としても城は使われたのである。

の攻め方・守り方

かつては戦いのシーズンがあった。オンシーズンは、米の収穫が終わった後から田植えが始まるまでの農閑期だ。これは戦いで農作物が荒されるのを防ぐのと、農閑期の農民たちが雑兵として戦いに参加するからだ。織田信長や豊臣秀吉の時代から農民と武士とが分離し、一年を通して戦える兵が増えた。

城を攻める方は、作物を刈り取ったり、田畑を荒したりする。さらに放火・略奪なども行うこともある。攻城戦が長期化しそうな場合には攻める城の周辺に陣城と呼ばれる簡単な城を造り、そこを攻撃の拠点とした。そして篭城兵が出られないよう、虎落で囲み、見張りを置いた。

守る方は、作物を刈り取り、田んぼには水を張って敵がぬかるみに足を取られるようにする。寵城する時には周辺の農民たちを城内に入れる。その時には民家を焼き、鍬や鋤など武器になりそうなものは域内に運び込むか、焼いてしまう。また、敵に水を利用されないように井戸に毒を入れることも行われた。寵城するにあたって兵糧は三年分用意するものとされていた。

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