犬山城は実は個人所有の城

犬山城(別名白帝城)は、木曽川の左岸にある高さ約40メートルの断崖上に造営された平山城で、姫路城、松本城、彦根城とともに国宝に指定されている。

犬山城を最初に築城したのは、織田信康で天文6年(1537)のことである。現存唯一の室町時代の天守とされていたが、昭和30年代の解体修理で否定された。天守がいつ創建されたのかは、はっきりわかっていない。もともとあった櫓の上に、望楼を乗せたとされ、元和3年(1617)に城主となった成瀬正成が、1620年頃に望楼部分を改築したという。

正成以後、明治まで成瀬氏が変わることなく城主であったが、廃藩置県で城は愛知県の所有となり、明治5年(1872)、天守以外の建物が取り壊された。明治24年(1891)の濃尾大地震で損壊、県は修繕費用を負担することを条件に、城を旧城主の成瀬氏に譲り渡した。

それ以来、全国で唯一の個人所有の城であったが、平成16年(2004)、財団法人犬山城白帝文庫の所有となった。

天守が国宝に指定されている城郭

犬山城姫路城松本城彦根城

犬山城の見所

犬山城の見所①天守①天守と付櫓
昭和10年(1935)に国宝に指定された三重四階地下二階の望楼型天守。天守の南東には切妻付櫓がある。

犬山城の見所②天守からの眺め②天守からの眺め
東を眺めれば、木曽川にかかる犬山橋があり、西を眺めればライン大橋と伊木山が見える。

犬山城の見所③神木大杉様③神木大杉様
築減以前から存在する大杉で、天守と同じ吉岡さがあり、天守への落雷を再三防いだといわれる。

犬山城の見所④一階上段の間④一階上段の間
上段の聞は、庁や寓くした床に畳敷きで床と違い棚をつけた書院造り。城主の部屋といわれる。

犬山城の見所⑤地階の穴倉⑤地階の穴倉
天守へ入るとまずあるのが、天守台石垣の中にある穴倉と呼ばれる場所で、地階にあたる。

犬山城の見所⑥本丸七曲門跡⑥本丸七曲門跡
木曽川方面の水手門を通り、七曲道を抜けるとたどり着く。

犬山城の観光ガイド

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犬山城へのアクセス(行き方)

[map addr=”愛知県犬山市犬山北古券65−2”]

犬山城の天守は初期望楼型天守の典型

犬山城の天守が建つ川に近い部分が断崖の最も高いところで、そこから南の傾斜地に、曲輪が段状につながる連郭式縄張を持つ。

天守は三層六階、北西の隅に出張り、南東の隅に付櫓が付属する複合型の天守で、高さ24メートル(内石垣5メートル)である。二層の櫓の上に、望楼を載せた初期望楼型天守の典型で、名古屋城や大阪城のすっきりとした層塔型の天守と比べると素朴ではあるが、歴史を経た味わいで、見飽きないのが犬山城の見所です。望楼部は高欄と廻縁が取り巻き、印象的な大唐破風、最上層に華頭窓を設けるなど、典雅さも演出されているのが犬山城の特徴であり、見所です。

本丸正面からの姿もよいが、木曽川の河原から眺める断崖に建つ天守は風格があって人気である。

250年かかった犬山藩独立

元和3年(1617年)、尾張藩を治める徳川義直の付家老、成瀬正成が犬山城を拝領した。石高は3万石と大名に準ずる立場であったが、尾張藩を補佐する役目であり、独立した大名とは見られなかった。大名としての独立を試みるも失敗している。

慶応3年(1867)、新政府より大名に認定され、犬山藩はようやく独立を承認された。しかし250年もかかった悲願の独立にもかかわらず、4年後の廃藩置県で、犬山城は成瀬氏の手から離れて愛知県の所有となった。

犬山城の豆知識

①犬山城の別名の白帝城とは、李自の詩にある、中国の長江に臨む白帝城になぞらえて荻生但係がつけたとされる。

②犬山城では、中山道・美濃街道を制し、濃尾平野の北辺を守る要衝として、城をめぐる攻防が繰り返され、目まぐるしく城主が替わった。

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