首里城は中国の影響を強く受け日本の城とは趣が異なる

沖縄県下最大規模にして琉球建築最高傑作とされる首里城は、生長2年(1429)に向島志王が三山を統一し琉球王朝を立てたあと、国王の居城として用いられるようになった。琉球王国最大の木造建築である正殿は、国王の象徴である龍が随所に散りばめられ、また、大龍柱と呼ばれる石柱や屋根上の棟飾り、配砂日脚などが施されてある。正門以外にも見どころは多数あり、歓会門、瑞泉門、漏刻門など、枚挙に暇がない。

しかしながら首里城はこれまでに何度も焼失しており、一時的に学校として利用されたこともある。そのため急速に荒廃が進み、崩壊寸前まで陥ったものの、昭和初期に改修工事が進み国宝に指定。歴代国王および初代琉球王である舜天が紀られるも、第二次世界大戦の最中、アメリカ軍の砲撃によって再び焼失した。

戦後は琉球大学のキャンパスになったが、日本復帰後に首里城再建計画が策定され、平成12年(2000)には「首里城跡」として世界選産に登録された。

首里城に伝わる数々の武勇ぞ持つ伝説的な人物

琉球王国の初代琉球王舜天は、保元の乱に破れて伊豆大島に流された源為朝が永万元年(1165)に琉球に上陸し、領主の妹をめとって生まれた子とされている。琉球王国の『中山世鑑』のなかでは正史として扱われているが、伝説の域を出ないのもまた事実であろう。ちなみに為朝は2mを超す大男で、弓の名手であったと伝えられている。[保元の乱」では鎧を着た敵に放った矢が貫通し、後ろにいた人物に突き刺さったとの伝説も。

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