宇和島城は五角形の城郭が敵を惑わす藤堂高虎のトリック城

築城年代は不明ながら、「板島丸串城」と呼ばれた城に藤堂高虎が入り、近世城郭へと改築を開始したのは慶長元年(1596)のこと。それから6年で、「高虎らしい」城が完成する。

宇和島城の縄張は本丸を中心に二の丸が囲み、長門丸が連なる、包括型と連結型を併用したもので、それほど珍しいものではない。だが、城の外郭は不均等な五角形をしており、宇和島城独特のものである。これは敵に固まれた際に「四角形と誤認させる」意図があったという。四方を固ませる聞に、残る一方から血路を開こうという算段である。また現在は埋め立てられたが、城の北側と西側が海に面した海域であり、非常に堅牢に築かれていた。

高虎が転封となると、伊達政宗の長男・秀宗が入城する。そして2代・宗利によって大改修行われ、高虎によって築かれた三重三層の望楼型天守を、現在の層塔型天守に改めたのもこのときといわれている。太平の世にあって実益よりも装飾性を重視され、小ぶりながら千鳥破齢、配砂降による装飾が非常に麗しい。その後、伊達氏9代まで引き継がれ、明治維新を迎えることになる。

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