川越城

川越城は江戸幕府の要所として代々譜代大名が入城する

川越城は長禄元年(1457)、一扇谷上杉氏の家臣。太田道真、道灌親子によって、対抗する古河公方への備えとして築城された平城である。築城当初は本丸、二の丸程度の規模と考えられている。

その後、「河越夜戦」に勝利した北条氏が入城し、北条氏が関東一円に勢力を広げるきっかけとなった。北条氏が羽柴秀吉に敗れると、川越城は徳川家康の所領となり、重臣の酒井重忠が入城して川越藩の基礎を築く。江戸時代には「江戸の大手(門)は小田原城、揚手(門)は川越城」といわれるほど重要視され、徳川氏の譜代大名によって幕末まで引き継がれた。

寛永16年(1639)に「知恵伊豆」と松平信綱が入城。このとき三の丸および曲輪が増築され、4つの櫓と12の間を備えた近世城郭へと生まれ変わっている。明治に入り城の大半が解体されるも、本丸御殿の一部が被害を免れ、「小江戸」と呼ばれた河越藩の名残を残している。ちなみに本丸御殿の遺構が残っているのは、川越城と高知城のみである。

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