今帰仁城は北山の王の居城は今では世界遺産に
沖縄本島北部に位置する今帰仁城は、中国や東南アジアなどの陶磁器が出土する城跡であり、世界遺産にも登録されている。もともとは琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城であり、正確な築城年は伝わっていないが日世紀末頃と推定されている。1416年、北山王は琉球統一を実現させた中山王尚氏に滅ぼされるが、城郭自体は琉球王朝による北山統治に利用された。慶長凶年(1609)、薩摩藩の琉球攻めにより炎上、廃城となった。万里の長城を初怖させる壮大な曲線を描く石垣、両脇に狭間が設けられた見事な正門「平郎門」などが楽しめる。
三山王鼎立時代
琉球本島では、本土の室町時代にあたる時代を三山王鼎立時代と呼んでいる。即ち、今帰仁城を北山王が浦添城と首里城は中山王が、そして南山城は南山王がそれぞれ居城とし、覇を競っていた。なお、北山王については中国の史書にも記されている。
今帰仁城の豆知識
今帰仁城内では旧盆の明けの亥の日をはさみ3日間「ウンジャミ(海神祭)」の祭が行われる。ただし、祭を行う人々の老齢化から、古式に則った祭肥は行えなくなりつつある。