掛川城

掛川城はかつては今川氏の平城山内冨夏が改築を施す

戦国期、駿河守護の今川氏親が朝比奈泰熙に命じて築かれた掛川城は、その後豊臣政権下で山内一豊の居城となり、大改築を受けることとなる。

一豊が掛川城へと入り改築を始めたのは天正18年(1590)、三重の天守と櫓を築き、城下町には堀を巡らせ外郭で取り囲んだ。 一豊は慶長5年(1600)に土佐へと移るが、わずか10年の間に掛川の城下町は大いに繁栄することとなる。一豊の転封後は松平氏をはじめ多くの城主が所有、最後は延享2年(1745)に太田道灌の子孫である太田資俊が入城し、その後明治期まで治めた。天守は幕末に取り壊されるが、平成に入って木造で再建されている。

掛川城は笠の密書の舞台に

山内一豊を「内助の功」で支えた妻・見性院。その名は「千代」とも「まつ」とも伝えられ定かではない。この見性院の逸話で特に有名なのが、石田三成方から徳川家へと夫を導いた「笠の緒の密書」だが、その舞台となったのが掛川城である。

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