布袋尊は神様になった僧侶

布袋尊は七福神の中で唯一、実在の人物に由来する神です。中国唐代末期から五代十国時代(9世紀後半〜10世紀初頭)に実在した僧侶・契此(けいし、?〜916年)がモデルとされています。契此は明州(現在の浙江省寧波市)の奉化県を中心に活動した禅僧で、常に大きな布の袋を担いで各地を托鉢して歩いたことから「布袋」と呼ばれました。太鼓腹と満面の笑みが特徴で、子供たちと戯れる庶民的な僧侶として人々に親しまれました。

唐代末期の中国の謎の僧侶

布袋和尚は型破りな禅僧として知られ、定まった寺を持たず市井で暮らしました。『景徳伝灯録』(1004年成立)によると、人々に天気を予言する能力があり、雪の中で寝ても体が濡れなかったとされます。臨終の際に「弥勒真弥勒、分身千百億、時時に世人に示すも、世人自ら識らず」という偈を残し、自らが弥勒菩薩の化身であることを示唆しました。この遺偈により、布袋は弥勒菩薩の化身として崇拝されるようになりました。

布袋尊の名で七福神の一つとなった布袋和尚は、唐代末期の中国に実在した僧侶である。

かれは死後に弥勒菩薩の生まれ変わりだと考えられて、神格化された。しかし布袋和尚の実像は、ほとんど明らかではない。かれは官寺で出世を目指すのを好まず、一生、放浪生活をおくつたと伝えられている。このような経歴が、布袋和尚の生涯を不確かなものにしている。

布袋和尚は916年に、浙江省の岳林寺で亡くなったと伝えられている。このことは、信じてよい。布袋和尚は本名を契此(かいし)といい、大きな布の袋を担いであちこち旅をしたために「布袋和尚」と呼ばれたという。

布袋和尚の考える仏法

布袋和尚の仏法は「無執着」と「歓喜」に集約されます。ある人が「仏法の大意は何か」と尋ねると、布袋は黙って袋を地面に下ろしました(=執着を捨てること)。「では、その先は?」と問うと、袋を担ぎ直して笑いながら去りました(=日常に戻り喜んで生きること)。この逸話は禅の公案として有名で、日本には鎌倉時代に禅宗とともに伝わりました。水墨画の好画題となり、室町時代の画僧・黙庵や可翁の布袋図が国宝・重要文化財に指定されています。

臨済宗の坐禅は、僧侶や参禅者に「公案」と呼ばれる問題を与えてこれを考えさせる形をとつている。無欲な生活を貫いた布袋和尚は、質素を重んじる立場をとる禅僧に慕われた。

禅僧の間で伝えられた公案の中で、布袋和尚を主人公とする次のようなものがあ2つ。

「一人の僧侶が布袋和尚の前を通り過ぎた時、布袋和尚はその僧侶に銅銭一枚を恵んでほしいと頼んだ。僧侶は銅銭を和尚に渡し、『銅銭を差し上げる代わりに、 二一口で仏法を説き尽くしてください』と頼んだ。
すると布袋和尚は、 三百も口にせず、一肩に担いでいた布袋を地面に投げ出して偉い人に敬意を示すように謹んで直立した」

公案を与えられた者は、この時布袋和尚が何を教えようとしたのか解くのである。一つの答えとして、次のように解釈することもできよう。

「仏法とは全財産を差し出して、最上級の礼をもって学ぶべきものである」布袋和尚を慕う者は、和尚は仏法を敬う気持ちから無欲な生活をとり続けたと解釈したのである。

布袋和尚の生涯と神格化

時代 出来事
9世紀後半 明州奉化県で布袋和尚(契此)が活動
916年 岳林寺の東廊下で入寂、弥勒菩薩の化身と宣言
1004年 『景徳伝灯録』に布袋和尚の伝記が収録
鎌倉時代 禅宗とともに日本に伝来、水墨画の題材に
室町時代 七福神の一員として定着
江戸時代 庶民の福の神として広く信仰される

よくある質問

布袋尊は実在の人物ですか?

はい、布袋尊は七福神の中で唯一、実在の人物に基づいています。中国唐代末期〜五代の僧侶・契此(?〜916年)がモデルで、大きな布袋を担いで托鉢した姿から「布袋」と呼ばれました。弥勒菩薩の化身として崇拝されています。

布袋尊が弥勒菩薩の化身とされるのはなぜですか?

布袋和尚が臨終の際に「弥勒真弥勒、分身千百億」という偈を残し、自らが弥勒菩薩の化身であることを示唆したためです。以後、中国の弥勒信仰では布袋の姿の弥勒像が広く作られるようになりました。

参考文献・出典

著者情報

本記事は日本の伝統文化と七福神信仰に関する専門的な知識を持つライターが執筆しました。禅仏教史と中国宗教文化の研究成果を基に、正確でわかりやすい情報提供を心がけています。

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