唐代末期の中国の謎の僧侶

布袋尊の名で七福神の一つとなった布袋和尚は、唐代末期の中国に実在した僧侶である。

かれは死後に弥勒菩薩の生まれ変わりだと考えられて、神格化された。しかし布袋和尚の実像は、ほとんど明らかではない。かれは官寺で出世を目指すのを好まず、一生、放浪生活をおくつたと伝えられている。このような経歴が、布袋和尚の生涯を不確かなものにしている。

布袋和尚は916年に、浙江省の岳林寺で亡くなったと伝えられている。このことは、信じてよい。布袋和尚は本名を契此(かいし)といい、大きな布の袋を担いであちこち旅をしたために「布袋和尚」と呼ばれたという。

布袋和尚の考える仏法

臨済宗の坐禅は、僧侶や参禅者に「公案」と呼ばれる問題を与えてこれを考えさせる形をとつている。無欲な生活を貫いた布袋和尚は、質素を重んじる立場をとる禅僧に慕われた。

禅僧の間で伝えられた公案の中で、布袋和尚を主人公とする次のようなものがあ2つ。

「一人の僧侶が布袋和尚の前を通り過ぎた時、布袋和尚はその僧侶に銅銭一枚を恵んでほしいと頼んだ。僧侶は銅銭を和尚に渡し、『銅銭を差し上げる代わりに、 二一口で仏法を説き尽くしてください』と頼んだ。
すると布袋和尚は、 三百も口にせず、一肩に担いでいた布袋を地面に投げ出して偉い人に敬意を示すように謹んで直立した」

公案を与えられた者は、この時布袋和尚が何を教えようとしたのか解くのである。一つの答えとして、次のように解釈することもできよう。

「仏法とは全財産を差し出して、最上級の礼をもって学ぶべきものである」布袋和尚を慕う者は、和尚は仏法を敬う気持ちから無欲な生活をとり続けたと解釈したのである。