火事に苦しめられた江戸城

江戸城はおよそ270年の間、将軍徳川家の居城として、また江戸幕府の政庁として威容を誇った。

天正18年(1590)、徳川家康が入城した当時の江戸城は、長禄元年(1457)に太田道灌(おおたどうかん)が築城した当時の姿を残す、小規模で質素な城だった。城と現在の東京駅あたりとの間には江戸湾が入り込み、日比谷入江と呼ばれる浅い海となっていて、神田川の前身の平川は竹橋あたりに河口があったようである。

慶長8年(1603)、家康は征夷大将軍となり、江戸幕府を開くと、幕府に相応しい城の造営に乗り出した。工事は家康、秀忠、家光の3代にわたって実施され、惣構えがほぼできあがつた寛永13年(1636)頃まで、約40年にも及んだ。

ただ江戸城は火事に苦しめられ、幾度となく大火に見舞われて多くの建物を焼失しては、再建するという繰り返しであった。中でも4代将軍の家綱の時代、明暦3年(1657)1月18日に発生した明暦の大火は史上最大の火災で、江戸の町もろとも城はほとんどの建物を焼失した。本丸や二の丸などは再建されたが、これ以後、天守は再建されることはなかった。

江戸城はすべてのもののスケールが大きい

江戸城の内郭は、本丸の周りを二の丸、三の丸、西の丸、北の丸が渦巻き状に取り巻く輪郭式縄張で、この内郭を外堀、神田川、隅田川を惣構えとした周囲約20キロの巨大な外郭が、さらに「の」の字を書くように取り巻く国内最大の城郭である。

遺構は櫓、門、石垣、土塁などで、残念ながら天守は天守台しか残っていないが、それでも将軍の居城・幕府の政庁としてスケールが非常に大きく、このスケールの大きさを楽しむのが江戸城鑑賞の見所のひとつです。

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