彦根城

彦根城は大阪城を包囲する拠点のひとつ

彦根城は、姫路城、大山城、松本城とともに、天守と付櫓、多聞櫓が国宝に指定された趣のある城である。

井伊直継は、慶長8年(1603)、彦根城の造営に着手した。築城地の彦根山は、西は琵琶湖、東に佐和山がある天然の要害であることに加えて、京と北陸街道の交通の要衝で、琵置湖を利用した水上交通や運送が可能という利便性で選ばれた。

名古屋城、和歌山城、姫路城などとともに、豊臣秀頼の大阪城を睨む包囲網の拠点のひとつとして、彦根城築城を重視した家康の命により、2の大名が助力をしたにもかかわらず、元和8年(1622)頃の完成まで、およそ20年の歳月がかかった。

多くの城は城主がめまぐるしく替わっているが、江戸時代初期より彦根城は井伊家の城としてあり続け、明治を迎えた。明治時代、彦根城は多くの建物が撤去されたにもかかわらず、天守やいくつかの櫓、門が残り、今に至っている。

彦根城の典雅さをたてた国宝の天守

彦根城は平山城で、標高136メートルの丘陵に、本丸、西の丸、鐘の丸、山崎曲輪などの曲輪を連郭式に配す。本丸や西の丸とは別に城主の居館である表御殿を麓に構える、堀切を施すなど、戦同期の山城の特徴があちこちにあることも彦根城の見所です。

彦根城の天守は国宝に指定されていて、大津城の天守を解体、部材を利用して造営された、櫓の上に望楼を載せた望楼型天守で、三層四階、付櫓が接続された複合型の形式である。千鳥破風、唐破風をふんだんに構え、最上幅には華頭窓があって、高欄(こうらん)と廻縁(手すり付き縁側)をめぐらせ、他の単純な形の格とは趣が違う典雅さで、彦根城の見所となっています。

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