久保田城

久保田城は石垣をほとんど用いず土塁中心で築かれた城

久保田城は「関ヶ原の戦い」であいまいな態度を取ったために、常陸水戸54万石から出羽秋田20万石に転封となった佐竹義宣が築いた平山城である。ほとんど石垣を使わず土塁と堀のみで造営されているのが大きな特徴で、城内に天守はもちろん、三重櫓さえない質素な造りであった。

こうした質素な城となった背景には、転封を命じた徳川家康への配慮があったとされている。しかし、常陸の水戸城も土塁で築かれており、義宣が土塁での築城を得意としていたことが本当の理由のようだ。また、減封による財政難も理由のひとつといわれる。

幕末まで佐竹氏の居城として存続し、成辰戦争の戦禍も免れた久保田城だが、明治13年(1880)に焼失してしまう。現在の隅櫓は、平成元年(1989)に市制100周年を記念して再建されたものである。往時のものは二重櫓であったが、展望台を増築した二重四階となっている。さらに、平成・3年(2001)には、発掘調査をもとに表門が復元された。唯一往時の姿を伝える「御物頭御番所」は、秋田市の指定文化財に指定されている。

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