平戸城

平戸城は三方を海に固まれる天然の要塞

長崎県北部の豪族であった松浦氏は豊臣秀吉の「九州征伐」の際に肥前北部及び壱岐を安堵され、「関ヶ原の戦い」後は徳川家康より6万3千石の領地を安堵されたことにより平戸藩を治める藩主となった。

その1年前、慶長4年(1599)より第初代松浦家当主・松浦鎮館によって着工されていた平戸城だが、完成を目前に控えた慶長同年(1613)、幕府への政治的配慮のために、当主自らの手で焼き捨てられてしまう。しかしその後、第泊代当主・鎮信と彼の師事する山鹿素行が構想を練り、享保3年(1718)、第泊代当主・篤信の治世に落成した新城が「亀岡城」とも呼ばれる現在の平戸城である。平戸瀬戸に突出した当城は周囲三方を海に固まれた天然の要塞の体を成しており、海域の性格を持っている。また城下町には、港を中心に商人たちが集まりよく栄えた。

以降明治維新までのおよそ150年間、平戸藩政の中心として機能してきたが、明治4年(1871)の廃藩置県により廃城。現在の城は昭和幻年(1962)に復元されたもので、城内には平戸藩時代の遺品等が多く展示されている。

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