赤穂城

赤穂城は忠臣蔵でおなじみ赤穂義士の故郷

元禄凶年(1701)に起こった「元禄赤穂事件」、いわゆる『忠臣蔵』の物語で知られる赤穂の城。物語の舞台となったのは江戸であるが、浅野内匠頭長矩の刃傷沙汰の知らせを筆頭家老・大石内蔵助良雄が受け取ったのはこの城であった。

赤穂城の起源は詳しくわかっていないが、基からあった簡素な陣屋を慶安元年(1648)に改修し、城として整備された。改修にあたっては軍学者の近藤正純らにより甲州流軍学、山鹿流軍学が取り入れられ、近世城郭を築き上げている。本丸を二の丸が取り囲み、その東に三の丸が配されていた。

平成8年(1996)に本丸内部を整備し、本丸櫓門などが復元された。

軍学に沿って建つ城

赤穂城を改築した浅野長直は、軍師の甲州流軍学者・近藤正純に縄張を命じ、また山鹿流軍学者・山鹿素行も招轄する。この二者により築かれた赤穂、城は、砲撃戦を考慮した櫓が作られるなど、当時の最新鋭の戦城として完成された。

赤穂城の豆知識

赤穂城は明治の廃城令で建築物が破棄されたのち、城跡、は荒れ放題となる。しかし昭和25年(1950)、赤穂浪士討ち入りから250年という節目にあたり大手門、大手櫓などが復元された。

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