岩国城

岩国城は7年を費やし築城するも7年後には廃城となる

岩国城は「関ヶ原の戦い」ののちに岩国へ転封となった、吉川広家によって築かれた。標高200mの横山山にあり、山城から平山城への転換期であった当時には珍しい、新築の山城である。

横山山は東・西・北の三方を錦川が流れる天険の要害で、まず山麓に居館となる御土居が築かれ、その後山頂に城が築城される。途中、江戸城などの普請に駆り出され、工事は中断を余儀なくされるが、着工から7年で見事な石垣が張り巡らされた城郭が築きあげられた。

本丸には「南蛮造(唐造)」と呼ばれる、いびつな形をした天守が鎮座し、5基の櫓と、3基の城門が備えられていた。しかし、完成から7年後、一国一城令によって廃城となり、天守、櫓はもちろん、石垣の大半が破壊される。

現在山頂にそびえる天守は、昭和幻年(1962)に再建されたもので、錦帯橋からの眺望を考え、往時の場所より南側に築かれている。また、破棄された天守台の一部が地中から発見され、それを基に天守台石垣も復元されている。

日本三大奇橋のひとつ錦帯橋

岩田城は知らなくても、錦帯橋の名を知る人は多いのではないだろうか。錦帯橋は錦川に掛けられた5連の反り橋からなる木造橋で、吉川氏によって御土居と城下町を結ぶために架けられた。橋は昭和25年(1950) に岩国を襲った「キジア台風」によって流出するが、同53年に再建される。現在架かるのは再建された橋を平成16年(2004) に架け替えたもので、岩国城と並ぶ観光名所となっている。

岩国城の豆知識

城の東側には取り壊しを免れた石垣が残る。これは山麓に築かれた藩主の居館が真下に位置していたためで、石垣を崩すと危険との判断からだといわれている。

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