インダス河の女神が日本の海の女神に

神仏習合によつて、弁財天は宗像大社(宗像市)の市杵嶋姫命と同一のものとされるようになった。宗像大社は、「宗像三神」と呼ばれる田心姫命、滞津姫命、市杵嶋姫の姉妹の神を祭神とする神社である。

宗像大社の本社とされる辺津宮では、妹にあたる市杵嶋姫命が祭られている。そして辺津宮の北西にある大島の中津宮が次姉の滞津姫命の宮、さらにその北西の玄界灘の絶海の孤島、沖ノ島の沖津宮が田心姫命の宮とされる。

この宗像三神は、古い時代から日本と朝鮮半島との貿易に活躍した宗像氏が祭った海の神であった。宗像氏が大和朝廷に従ったあと、大和朝廷が宗像大社の祭祀を管理し、やがて宗像三神を素戔鳴尊の娘とする系譜を作った。

宗像系の神社と弁天社

仏教が広まった平安時代に、市杵嶋姫命が弁財天だとされた。市杵嶋姫命が宗像三神の中で最もきれいな神といわれていたので、インド生まれの美しい仏、弁財天と結びつけられたのだ。

海の神である宗像三神は水を支配する神だが、宗像の神以外の水に関わる日本の神がインドの川の神である弁財天と同一のものとされた例も多い。次項で取り上げる鎌倉市の銭洗弁天もその一つだが、琵琶湖に浮かぶ竹生島の都久夫須麻神社も島を守る女神浅井姫命が弁財天と結びついたものである。

弁財天を祭る弁天社のかなりの部分は、川、湖、海などにまつわる土地の守り神が神仏習合によつて弁天社になったものである。広島県十日市市の厳島神社は、瀬戸内海航路の要地にある宗像三神を祭る有力な神社である。この神社にも弁財天信仰の要素が入り込んでいるが、現在の厳島神社やその分社は弁財天ではなく宗像三神を祭神とする立場をとっている。