高松城

高松城は海の上に浮かんで建つ美しく堅牢な水城

豊臣秀吉の「四国平定」後、生駒親正が讃岐一国を封じられる。親正は丸亀に城を築くが、秀吉の意向を受け、平定間もない四国の押さえとして、また瀬戸内水軍の監督役として高松城の築城が開始された。縄張には黒田孝高、細川忠興も加わったといわれ、海に浮かぶ島を利用した美しい城が誕生した。

城の周囲には海水を取り込んだ幅広の堀が三重に巡らされ、城全体が海に浮かぶようにもみえる。本丸の周りには二の丸、三の丸、桜の馬場、西の丸を時計回りに配置。海に面して防波堤を備え、その内には船溜りも設けられていた。明治期には「讃州讃岐の高松様の城が見えます波の上」と、その姿を民謡にも歌われている。

やがて生駒氏が改易となると「水戸黄門」で知られる徳川光園の兄・松平頼重が入城。天守が三重四階、地下一階の南蛮造に改築された。

明治打年(1884)に天守は取り壊されるが、月見櫓、良櫓は状態よく保存されており、堂々とした姿をみせてくれる。それでも、天守復元は高松市民の長年の夢であり、復元への準備が進められている。

高松城の豆知識

高松城は別名企業悌と呼ばれ、城跡は玉藻公園として整備されている。これは柿本人麻呂が讃岐の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことにちなみ、このあたりの海が「玉藻の浦」と呼ばれていたためといわれる。

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