田の神となった恵比寿様

恵比寿信仰は、農村にまで広がっていた。かつて田の神として恵比寿様を祭る農家が広く見られた。

この田の神は、 一月二十日に山から現われ、十月二十日に山に帰って行くとされていた。そのため農村では恵比寿様を迎える日と、恵比寿様を送る日には祝宴が開かれた。

この恵比寿様は、もとは氏神として祭られていた神であったと考えられる。しかし室町時代の恵比寿信仰の広まりの中で、氏神様を送り迎えする祭りが豊作を願って恵比寿様を持て成す特別の神事に変わった。

しかし古くから行なわれた村を守る氏神様の祭りは、前のように続けられた。このようなあり方は、商人が古くからの氏神様を信仰しつつ福の神を祭る形と共通するものである。

山幸彦信仰と農民

山幸彦の通称をもつ彦火々出見尊は、古くは稲が育つありさまを表わす神名をもつ稲の神であった。「彦火々」は「彦穂々」で太陽神の子の稲穂をさす。彦火々出見尊は、稲穂が多く繁るさまを意味する神なのである。六世紀に海彦山彦の物語ができた後に、その神は、海神の娘である豊玉姫の夫の山幸彦と同一の神とされて、海神の力を借りる力をもつ神と考えられるようになった。

そのため彦火々出見尊は農業の神としても、漁業の神としても祭られた。農耕神としての彦火々出見尊は特に、虫害よけの神として信仰された。稲の神には、稲を食い荒らすイナゴやウンカを追い払う力があるとされたのだ。

彦火々出見尊を祭神とする福井県越前市大虫神社は、特に虫除けに御利益のある神社とされている。山幸彦の信仰の広まりがのちに田の神としての恵比寿信仰を作り上げることになったのであろう。