出雲の美保神社の恵比寿信仰

島根半島の先端近くの美保関に、事代主命を祭る美保神社(松江市)がある。この神社は、古くは美保関のあたりを治めた漁民の首長(指導者)が、海の神を祭った神社であった。

事代主命は、もとは漁民の集団の氏神で豊漁をもたらす神であったが、そこの首長が出雲氏に従ったあと大国主命の子神とされた。さらに『古事記』の物語では、美保で漁をする事代主命がすすんで皇室の祖先に国譲りをして海の果てに去った神とする物語がつくられた。

美保関の事代主命は、もとは海の果ての常世国に住む神と考えられていたとみられる。この神は祭りの時だけ、海を渡って美保関を訪ねてくるとされたのだ。

のちに西宮神社から海から来る恵比寿様の信仰が広まると、西宮の神に似た性格をもつ美保関の事代主命も恵比寿様であると考えられるようになった。美保神社の神様が恵比寿様として新たに福の神にされたのは、室町時代末頃のことではあるまいか。

大阪の今宮戎

大阪で人気のある福の神に、大阪市浪速区の今宮戎神社がある。 一月九日、十日、十一日に行なわれる十日戎に、約一〇〇万人の参拝者が今宮戎を訪れる。

今宮浜という漁村の漁民が古くから祭っていた豊漁の神が、室町時代に今宮戎という有力な神社になった。広田神社の戎神の分霊が迎えられて今宮戎になったとする説もあるが、今宮戎神社は現在、「聖徳太子が今宮戎をおこした」とする立場をとつている。

今宮浜に浜の市という市が開かれるようになったのちに、今宮の「えびす神」が商売繁昌の神になっていった。そして今宮のえびす神が各地の商人の信仰を集めるようになったのちに、今宮の人びとが、「今宮の神は、西宮のえびす神とは別の神だ」と主張し始めた。かれらは今宮のえびす神を、庶民に人気のある大国主命の子神である事代主命とした。今宮のえびす神が事代主命とされるようになったのは、室町時代後半の頃ではあるまいか。

江戸時代に大坂が町人の町として発展すると、今宮戎神社は福の神として商人たちに信仰された。この時期から今宮戎の十日戎は、大そうな賑わいをみせた。

江戸時代に今宮戎の繁栄にあやかつて、大坂周辺に事代主命を福の神として祭る神社が広まっていった。さらに大坂と取引のある各地の商人も、事代主命の恵比寿様を祭つて商売繁昌を願った。

美保神社のような地方豪族などが古くから事代主命を祭っていた神社が、のちに事代主命を福の神とした例もある。しかし私は、福の神としての事代主命信仰は主に今宮戎神社から広まったと考えている。