恵比寿廻しの人形芝居

西宮の恵比寿信仰を広めたのは、「戎廻し」とか「戎かき」と呼ばれる愧儡舞の芸人たちである。かれらは各地を巡って、人形を面白おかしく舞わせて、恵比寿の神である蛭子命の御利益を説いた。

恵比寿廻しの活躍は、鎌倉時代末から室町時代にかけての時期に盛んであったが、この期間は伊勢神宮の御師によって、天照大神信仰が各地に広められた時期に相当する。

そのために恵比寿廻しの人びとは、蛭子命が天照大神の近い親族であることを強調した。そして天照大神は日本全体を治める国の守り神であるが、恵比寿様の神(遠くから来た神)ある蛭子命は一人一人の信者の願いを叶える身近な神だと説いた。

愧儡師の始祖百太夫

恵比寿廻しの実像を伝える記録は、ほとんど残っていない。しかし恵比寿廻しを行なった愧儡師は、ただの旅芸人ではなく西宮神社の下級の神職であったとする確かな文献はある。

そこには愧儡師は神社の社人として西宮神社の北隣りに居住しており、百太夫という者を始祖としていたとある。恵比寿廻しの芸人は、都市や農村で芸を演じ、見物人の支払う報酬で生活していたとみられる。かれらは質の高い芸を見せ、各地を廻って芝居や話芸を演じる他の旅芸人と変わらない生活をしていた。

現在の西宮神社の境内には、人形操りの祖神としての百太夫神がみられる。江戸時代になって歌舞伎、文楽その他の芸能が発展していく中で、恵比寿廻しの芸は流行遅れのものとなって廃れていった。