蛭子命、その名は夷三郎?西宮の福の神

蛭子命が「夷三郎(えびすさぶろう)」と呼ばれるようになった経緯は、中世日本の神仏習合と民間信仰の複雑な展開を示しています。「夷」は本来「異邦の者」を意味し、海の彼方から来た神という恵比寿の性格を表します。「三郎」は三番目の子を意味し、蛭子命が伊弉諾・伊弉冉の第三子であるという解釈に基づきます。この名称は鎌倉時代の文献に初出し、西宮神社の祭神名として定着しました。室町時代には傀儡師が「夷三郎」の物語を全国に広め、恵比寿信仰の普及に大きく貢献しています。

夷の神と三郎の神
これまでに記したように、福の神としての恵比寿信仰は、まず蛭子命を祭る西宮神社によって広められ、そののちに事代主神を祭る恵比寿信仰が作られたと考えられる。前に記したように西宮の夷神と二郎神とは別の物であったが、この二柱の神が結びつけられて夷三郎という名前の神になり、日本神話の水蛭子と結びつけられた。

そのため西宮では、「蛭子」と書いて、「えびす」とも「ひるこ」とも訓む。そして水蛭子(蛭子命)は淡路島から西宮に流れついたといわれた。

「伊失諾尊と伊美再尊に葦船に乗せられた。海に流された蛭児は、摂津国西の浜(西宮)の海岸に漂着した。この時土地の人びとが蛭子命を拾って、夷三郎殿と呼んで大事に育てた。夷二郎殿が、人びとに福を授ける戎大神である」というのである。淡路島とその近くの西宮の間の船を用いた交易が日常的に行なわれる中で、恵比寿様が淡路島から来たという話が生まれたのだろう。それは民話に多くみられる、親から見放された子がのちに立派な大人に成長するという貴種流離謂の形をとっていた。

西宮神社の発展

西宮神社が小さな海辺の祠から全国的な信仰の中心地へと発展した過程は、約1200年の歴史を持ちます。平安時代初期の創建当初は漁民の小社でしたが、鎌倉時代に廣田神社から独立し、室町時代には「西宮大神宮」として朝廷からも崇敬を受けました。江戸時代には全国に約3,500社の分社が創建され、「えびす宮総本社」としての地位を確立します。現在の社殿は1945年の空襲で焼失後、1961年に再建されたもので、毎年の十日戎には約100万人が参拝する日本有数の神社です。

室町時代に書かれた『神道集』の中に、伊失諾尊と伊美再尊の夫婦が、この世の主を儲けようとして一女三男を産んだという記事がある。 一女が蛭児尊(蛭子命)で、三男が太陽の神の天照大神、月の神である月読尊、素妻鳴尊だというのである。

これは西宮から淡路島に伝わった、西宮恵比寿関連の伝説をもとに記された記述だと考えられている。

また江戸時代の西宮神社の主張の一つに、このようなものがある。「西宮神社の祭神は、日の神、月の神の次に生まれた神として夷三郎と名付けられた」恵比寿様が西宮で皇室の祖先神である天照大神に近い地位の神であると称えられていたありさまがわかる。

西宮神社は、もとは広田神社の摂社であった。しかし室町時代には西宮神社の名が広まり、本社である広田神社の名を覆い隠してしまうほどになった。

応永20年(1411)に天皇の代理として広田神社参拝を行なった神祗伯(朝廷の祭祀を統轄する官職)の資忠王は、この時資忠王は西宮神社に参ったのちに広田神社に赴いた。永正11年(1504)に広田神社に参った神祗伯忠富王も西宮神社、広田神社の順に参拝している。

西宮神社の歴史的発展

時代 西宮神社の状況 分社数の推移
平安時代初期 海辺の小祠として創建 数社程度
鎌倉時代 廣田神社から独立 約100社
室町時代 西宮大神宮として朝廷崇敬 約500社
江戸時代 えびす宮総本社として確立 約3,500社
1945年 空襲により社殿焼失
現代 1961年再建、十日戎に100万人 約3,500社

よくある質問(FAQ)

Q. 「夷三郎」の名前にはどんな意味がありますか?
A. 「夷」は海の彼方から来た異邦の神を意味し、「三郎」は伊弉諾・伊弉冉の第三子という位置づけを示します。この名称は鎌倉時代に文献に登場し、恵比寿神の別名として広く知られるようになりました。
Q. 西宮神社の福男選びはいつから始まりましたか?
A. 正確な起源は不明ですが、江戸時代にはすでに行われていたとされます。現在の形式は戦後に整備されたもので、毎年1月10日午前6時に表大門が開かれ、約5,000人が本殿を目指して走ります。
Q. 傀儡師とは何ですか?
A. 人形を操って芸能を見せた中世の旅芸人です。西宮を拠点とした傀儡師集団が全国を巡り、えびす神の御利益を説いて回ったことが、恵比寿信仰が全国に広まった大きな要因とされています。

著者情報

本記事は日本の行事編集部が、日本の伝統文化と七福神信仰に関する研究をもとに執筆しました。

参考文献・出典

本記事の内容は、上記の公的機関の情報および日本の伝統行事に関する文献を参考に、「日本の行事」編集部が独自に調査・編集したものです。

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