恵比寿様の鯛と釣り竿

七福神の恵比寿様は、鳥帽子をかぶつて狩衣を着た姿に描かれる。これは恵比寿信仰が広まった室町時代の、公家や上流の武士などの身分の高い人の姿を表わしたものである。

恵比寿様はこの姿で、釣り竿を肩にかけ、脇の下に鯛を抱えていることが多い。鯛は祝宴で出される、縁起の良い魚である。釣り竿は、「釣して網せず」という教えを表わすものである。

それは網で魚を根こそぎ獲るような商売をしてはならないと、暴利を貪らないように商人を戒めるものであった。江戸時代の商業取引の場には、必ず恵比寿様が祭られていた。そして毎月十日に恵比寿講という商人の集まりが開かれた。現在でも恵比寿講を行なう、商店街、商店会が見られる。

同じ町内の商人たちは、「恵比寿様を信仰する者は、欲ばらず地道に正直な商売をする」と考えて、互いに信頼し合って仕事に励んでいた。恵比寿様はこの姿で、釣り竿を肩にかけ、脇の下に鯛を抱えていることが多い。鯛は祝宴で出される、縁起の良い魚である。釣り竿は、「釣して網せず」という教えを表わすものである。

それは網で魚を根こそぎ獲るような商売をしてはならないと、暴利を貪らないように商人を戒めるものであった。江戸時代の商業取引の場には、必ず恵比寿様が祭られていた。そして毎月十日に恵比寿講という商人の集まりが開かれた。現在でも恵比寿講を行なう、商店街、商店会が見られる。

同じ町内の商人たちは、「恵比寿様を信仰する者は、欲ばらず地道に正直な商売をする」と考えて、互いに信頼し合って仕事に励んでいた。

海の神と山幸彦

水蛭子の神話には、釣りの話が出てこない。そのために山幸彦の伝承の一部が水蛭子と結びついて釣りをする恵比寿様の姿がつくられたのではないかとする説がある。

山幸彦の正式の名前を、彦火々出見尊という。かれは天照大神の曾孫で初代の天皇、神武天皇の祖父にあたる。『古事記』などの、日本神話では彦火々出見尊のような神武天皇より古い皇室の先祖は、神様として扱われている。

山幸彦は、兄の海幸彦の釣針を借りて漁に行くが、釣針を失くしてしまった。そのためかれは兄に責められて、釣針を求めて海中に行き、海神の娘の豊玉姫と出会った。このあと山幸彦は豊玉姫を妻にして海神の宮殿で三年間過ごした後に釣針を見付けて地上に戻ったという。

地上に戻った山幸彦は海神の助けを得て海幸彦を従えて皇室の祖先になったとされる。この話は兄の釣針を失くして居場所を失い海に行き、海から戻って来て立派な仕事をする貴種流離謂の形をとるものである。このような山幸彦の物語は、水蛭子(蛭子命)が西宮で神になったという伝説と共通の性格をもつ。

そのために西宮神社の蛭子命が山幸彦と結びつき、釣りをする山幸彦の姿にならった恵比寿像が作られたのである。