ひな祭りのお祝いの仕方

2020年(令和二年)の
ひな祭り
3月3日
(火曜日)

3月3日になると女の子の節句であるひな祭りが行われる日になります。この記事の中ではお祝いの仕方や飾り方、ひな祭りに関しての豆知識などを紹介しています。

この記事内では下記の目次にあるひな祭りに関してのことが分かりますよ

ひな祭りのお祝いの仕方

初節句「上巳の節句や弥生の節句」は、
子供の健康や幸せを願う
伝統行事

ひな祭りの由来を知ればお祝いの意味が分かります

ひな祭りは厄払いだった

赤ん坊が誕生した後、初めて迎える節句のことを初節句と呼び、これは「上巳の節句」や「弥生の節句」と呼ばれることがあります。
女の子の場合は、3月3日の桃の節句にひな祭りでお祝いするのが一般的です。

初節句「上巳の節句や弥生の節句」は、子供たちの健康や幸せを願う、父母や祖父母たちの願いを込めるために生まれた伝統行事でもあります。

雛人形に身代わりになってもらう

昔から人が掛かる病気や災厄、穢などは人形に代わらせることができると信じられていたことから、ひな祭りでも人形を飾るようになりました。

最初は紙や稲わらを使用して作った人形や型代にそれぞれの希望や願いを込め、お酒や食べ物などを供えて祀り、その後に海や川へ流すのがお祝いの方法でした。
そのような流し雛の行事は現在も様々な形として各地に残っていて、ひな祭りの行事の一環として行われています。

ひな祭りの時の食べ物とその意味

ひな祭りでは、様々な料理が行事食として食材があります。それぞれの食材には願いや意味があり意味を知っているとよりひな祭りが楽しくなると思います。


食べ物名意味
はまぐり
はまぐりの
吸い物
良いパートナーに恵まれる

※同じ殻同士でないと閉まらないため
菱餅
菱餅
(ひしもち)
緑:健康や長寿
白:清浄
ピンク(紅):魔除け
ひなあられ
ひなあられ
ピンク、緑、黄、白の4色でそれぞれ四季
白酒<br />
(甘酒)
白酒
(甘酒)
邪気を祓い、気力や体力の充実
ちらし寿司
ちらし寿司
由来は実はないのですが
縁起の良い食材で作られます
えび(長生き)
れんこん(見通しがきく)
豆(健康でまめに働ける)


ハマグリは貝殻が一対になっており、自らのフタでなければ絶対に合わないというのが特徴になり、その点を夫婦に例えていると言われています。

いつまでも楽しく幸せに暮らせるように、良いパートナーに恵まれるようにと願っているのです。

より詳しくひな祭りに関する食べ物やレシピなどを紹介していますのでこちらを参照ください

【食べ物】ひな祭りの時の食べ物とその意味を知ろう!レシピも紹介

雛人形はいつまで飾る?

初節句のお祝いの仕方ですが、ひな人形については2月4日の立春の頃から2月中旬にかけ、その中から日の良い日に飾ります。
特に飾り付けについては詳細な点はありませんので、1月から飾っても問題ありません。

雛人形を飾った後ってなにかするの?

一緒にお祝いをする人は?

現在では新暦の3月3日にお祝いするところが増えていますが、地方によっては1ヶ月後の4月3日にお祝いするところもあるようですので、それまでに飾り付けを終わらせると良いでしょう。

実際のひな祭りでは、お節句の当日や宵節句と呼ばれる前夜に、両家の祖父母や親戚、日頃から親しくしている方を招待します。

ひな祭りでおもてなしをする食事は様々ですが、多いのはちらし寿司とハマグリのお吸い物がセットになったものです。

ひな祭りでは雛段に桃の花や白酒、草もちをなど供えて、家族が揃ってその前で会食をすることが多いです。
昔は農耕などの仕事をしている人が多く、仕事が忙しくなる前に皆で共同飲食をすることがありましたが、そのような催しが3月3日や4月8日に多くあったとも言われています。
そのときの風習が、現在のひな祭りでの会食にも繋がっているのでしょう。

雛人形の飾り方と意味役割が分かります

雛人形の飾り方や意味

一段目・・・親王(しんのう)
二段目・・・三人官女(さんにんかんじょ)
三段目・・・五人囃子(ごにんばやし)
四段目・・・随臣(ずいじん)
五段目・・・仕丁(じちょう)

それぞれの役割や込められた意味などを紹介していきますね。


名称
(読み方)
役割飾り位置
男雛
(おびな)
内裏雛
(だいりびな)
天皇様
(親王)
一段目
女雛
(めびな)
皇后様
(親王)
一段目
三人官女
(さんにんかんじょ)
お世話二段目
五人囃子
(ごにんばやし)
音楽隊三段目
隋臣
(ずいじん)
御殿を守る四段目
仕丁
(じちょう)
雑用五段目

地域によって雛人形の飾り方は違います!

東京と京都での雛飾りの並べ方

一般的なひな祭りは、江戸時代から行われてきました。
ひな祭りの風習が一般庶民に大きく浸透していったのが、江戸時代中期以降と言われています。
その頃から、雛人形の飾り方や意味、役割があったと言われており、現在もその内容が引き継がれています。
雛人形の飾り方を具体的に見ると、たくさんの意味合いがあることが解かります。
まずはお内裏さまですが、もちろん雛壇の上段に飾られ、お殿さまとお姫さまは天皇様と皇后様になります。
お内裏さまの並び方は地域によって違いがあり、例えば関東地方では向かって左側に男雛を、右側に女雛を並べるところが多いです。

一方の京都では、男雛を右側に女雛が左側に飾っています。
関東と京都ではお内裏さまを置く位置が異なりますが、これはかつて京都御所で「天子南面」と言われたように、天皇が南側に面していたことが由来とされているようです。
次が三人官女ですが、こちらは雛壇の上から二段目に位置しており、お祝いの白酒でお仕えすることになります。
両脇は立ち姿で真ん中の中央が座り姿になっていて、持ち物については、こちらから向かって右側から「長柄銚子(ながえのちょうし)」、「嶋台」、「加えの銚子」の順です。
雛飾りによっても変わってきますが、中央の人形は松竹梅を飾りつけた嶋台に代わって、三宝を持った人形を飾ることがあります。

次は五人囃子になり、こちらは歌でも出てきますので知名度的には有名だと思います。
五人囃子は雛壇の上から三段目にあたり、こちらは現在の例で言えばアイドルや美少年の楽団と言っていいでしょう。
各人形は打楽器と笛を持つ能楽の囃子になり、向かって左側から「太鼓」、「大鼓(おおかわ)」、「小鼓(こかわ)」、「笛」、「謡」の順になります。
五人囃子の場合は、大きな音が鳴る順に並んでいるのが特徴です。
次が隋臣ですが、こちらは上から四段目にあたります。
隋臣は人や家を守ってくれる大切な人形であり、右大臣と左大臣、老人と若人で1組です。
左大臣の老人は学問と知性を、向かって右側にある右大臣の若人は力を司っている、と言われています。
雛壇には桜橘や嫁入り道具などが付くこともあり、七段飾りになるとさらに豪華なものになります。

次は緋毛氈になり、緋毛氈はひな祭りでは華やぎを演出してくれるもので、昔から天然痘除けや蚤除けなどのために飾り付けをしていました。
五段目には御所の紫宸殿前の左近の桜や右近の橘を、向かって右側には桜の木、その左に黄色の実がある橘の木を置くのが一般的です。
六段目ですが、こちらには箪笥や鋏箱を始め、長持や鏡台、針箱や火鉢、茶の湯道具を、七段目には御駕籠や重箱、御所車を置きます。
雛壇には様々な人形を置きますが、お雛さまが納められる箱に子供の名前や生年月日、いただいた方の名前を書くこともあるようです。

お雛さまは昔からありますので、母親のお雛さまがあれば、それも一緒に並べてみるのも楽しいと思います。

全国で違うひな祭りの仕方

ひな祭りは地域によって、お祝いの仕方が異なります。
北海道・東北・関東地方を見ると、例えば北海道の場合は雪が残る時期でもありますが新暦で行うのが一般的です。
青森県では旧暦の3月3日頃に、浜辺で採った蟹や貝などを煮炊きをして楽しんでいます。
山形県最上郡では、「山の神の勧進」が現在も行われており、ここでは春の季節になると山の神が里に降りてくることから、子供たちが中心になって花見をしています。
北陸・甲信・東海・近畿地方では、まだ桜の咲かない季節ですが、山梨県では子供たちが重箱を持参して山へ遊びに行ったり、長野県の一部では川のほとりでムシロを敷き、そこで五目飯などを食べながら遊んだりしているようです。

ひな祭りといえばこの歌!歌詞付き

ひな祭りでは、皆でお祝いするのが一般的ですが、そのときに一緒に歌うのがひな祭りの歌です。
ひな祭りの歌として知られる「うれしいひなまつり」の歌詞を紹介します。
歌詞:うれしいひなまつり

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひなまつり
あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひなまつり

お内裏様(だいりさま)と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔

金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣

着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日

「うれしいひなまつり」という曲名の通り、女の子の健やかな成長を願う年中行事である、ひな祭りが題材になっているのが特徴です。
うれしいひなまつりの歌詞では、雛段飾りの様子がリアルに描写されています。
その内容ですが、一段目はお内裏様とお雛様、金の屏風と左右のぼんぼりがあります。
二段目が三人官女で三段目が五人囃子、四段目の矢を持つ2人は護衛の随臣であり、五段目は従者の仕丁になります。
歌詞に出てくる「ぼんぼり」ですが、ぼんぼりというのはロウソクを灯す燭台を紙や布で囲った、古い灯火具のことを言います。

雛段の飾りでは、お内裏様とお雛様の外側に、それぞれ左右に一つずつ設置されています。
ロウソクの明かりが紙や布に照らされて、ほんのりと優しい感じで広がっていくことから、「ほんのり」がやがて「ぼんぼり」へと変化したとも言われているのです。
うれしいひなまつりの歌詞には、「お内裏様とお雛様」が出てきますが、歌詞の中のお内裏様は向かって一段目の右側の男雛の意味で使用されています。
内裏というのは、元々は天皇陛下の住む御殿のことになり、皇居を意味しています。
天皇皇后の結婚の儀を表現する雛段飾りでは、お内裏様は男雛と女雛で一対の人形の役割をすることになるのです。
これはつまりお内裏様と言う時点で、男雛と女雛のそれぞれを示すことになりますので、わざわざ「お内裏様とお雛様」というように表現する必要はないのでは、とも言われています。

ひな祭りの由来ってそうだったんだ

ひな祭りの由来にはいくつか候補がありますが、中国で実施されていた「上巳の節句」が日本に伝わったのが有力と言われています。
ひな祭りというのは、元々は厄や邪気などを取り払うための行事になり、自分の邪気などを人形にうつして川に流す、いわゆる「流し雛」が昔から行われていました。
この流し雛の行事は長い間行われていたのですが、時代の変遷と共に流し雛に用いる人形が豪華なものになっていき、川に流すのではなくそれぞれの家に飾るようになっていきました。
これが後にひな人形へと変わっていき、昔は貴族の中でよく行われていたおままごと遊びのような「ひひな遊び」と合わさり、現在のひな祭りへと形を変えるようになったのです。

ひな祭りって何をする行事?

ひな祭りと言えば3月3日をイメージしますが、実際にどのようなことを行うのか、男の子だけの家族で育ってきた人は詳細まで分からないのではないかと思います。
女の子がいる家庭では、3月3日のひな祭りにひな人形や桃のお花を飾ったり、蛤のお吸い物やちらし寿司などを食べたりしてお祝いするところも多いです。
ひな祭りというのは日本の行事になり、女の子の健やかな成長や健康を願って行う節句の行事になります。
節句というのは各季節の節目に行うもので、そこでは無病息災や豊作、子孫繁栄などを願ってお供え物をするといった行事が行われています。

日本のひな祭りでは、ひな人形に加えて桜や桃の花といった木々の飾りやひなあられ、菱餅などを用意して、白酒やちらし寿司などの食べ物と一緒に楽しむのが一般的です。
このようなにひな祭りは女の子の健やかな成長を願うのが目的で、日本中のあちこちで3月3日に祝われていますが、東北地方などの一部の地域では旧暦の3月3日、つまりは4月3日に祝うこともあります。
5月5日に行われた男の子の節句は祝日になっていますが、3月3日の女の子の節句はそうではありません。
どうしてひな祭りは祝日ではないのか、と疑問に感じることもあると思います。
確かに不思議に思うかもしれませんが、実は江戸時代はひな祭りも祝日だったと言われています。

しかし、時代が進んだ際に廃止され、戦後になると祝日の制定を行う動きの中で、3月3日や4月1日の案も出ていましたが、明治6年(1873年)に新暦を採用した際に五節句の祝日が廃止されてしまったのです。
ただ戦後になり、新しい時代にふさわしい祝日を作ろうということで国民にアンケートが行われた結果、今の5月5日の子供の日が制定されました。
狭い日本でも南北で気候が大きく変わり、北海道や東北を始めとした寒冷地での気候を回避し、全国的に温暖な時期である5月にしたことが、大きな理由のひとつにされているようです。

全国のひな祭りのイベント

全国では、様々なひな祭りのイベントが開催されています。
福岡では「柳川雛祭り さげもんめぐり」が、2月11日~4月3日に行われています。
さげもんというのは、布細工や鞠を使用して作ったつるし飾りをひな人形と一緒に飾るもので、福岡県柳川市に昔から伝わる風習です。
つるし飾りは日本全国に様々なものがありますが、柳川「さげもんは、稲取「雛のつるし飾り」や酒田「傘福」と並んで、日本の3大つるし飾りのひとつとして称されています。

寿命が短い人生50年とされていた時代に、少しでも長生きして欲しいという願いが込められているのです。
鳥取の「もちがせ流しびな」も有名で、こちらは旧暦の3月3日に行われています。
イベントでは子供たちの健やかな成長を願うため、災厄を移した人形を流しています。
流し雛の里として有名な鳥取市用瀬町では、毎年旧暦の3月3日にこの行事を行っています。
そして京都では、市比賣神社で「ひいなまつり」が3月3日に開催されていて、こちらは人形ではなく人間が主体のまつりになります。

用瀬町で行われている流し雛は、ひな段に飾った流し雛を毎年旧暦の3月3日に千代川に流しています。

ここでは女の子が正装をしてロウソクを灯しながら川まで送り、お雛さまと一緒に桃の花や白酒、ひし餅などを添えて、今年1年間の健康や幸せといった願いを込めて祈っています。
用瀬町で実施されている流し雛は、昭和60年に鳥取県の無形民俗文化財に「もちがせの雛送り」として指定されました。

その中でも有名なのが鳥取県の用瀬町で実施されている流し雛になり、全国的にも有名です。
昔からの流し雛の行事が、その当時に宮廷貴族の間で実施されていた「ひいなあそび」とひとつになり、その後に様々なものに形を変えながら、現在のひな祭りとして残っているのです。