織田信長ゆかりの城

物心付いた時から一城の主だった織田信長は版図を広げ、獲得地に拠点を設けていった。そして天下人の象徴として前代未聞な規模の城を築く。

勝幡城(しょばたじょう)

天分3年(1534)
商業圏津島を領する信長の生誕地

那古野城

天分7年(1538)
青年期を過ごした「大うつけ」の城

清洲城

弘治元年(1555)
尾張を治める織田家盟主の城

小牧山城

永禄6年(1560)
美濃斎藤氏攻略用の城

岐阜城

永禄10年(1567)
美濃を併合し天下取りへ

安土城

天正4年(1576)
絢爛豪華な天下人の象徴

大うつけから桶狭間まで

織田信長は、天文3年(1534)に尾張(愛知県)勝幡城で生まれたと考えられている。父の信秀は一族の中では分家だが、商業圏の津島を領し、その経済力を背景にして織田一族をまとめる尾張随一の実力者であった。

信秀はさらに、津島と並ぶ商業圏・熱田をも支配下に置くべく、熱田に近い那古野城を獲得、わずか4歳の我が子信長に与える。

物心ついた時から一城の主だった信長は、20歳を過ぎるまでこの那古野城で過ごしており、自らが居城とした中では最も期間が長い。元服し、美濃(岐阜県)斎藤氏の娘と婚姻を交わし、父を失い、いわゆる「大うつけ」時代を送ったのもこの時代のことである。父信秀が病没すると、それまで従っていた家臣や叔父。兄弟を含む親族、そして本家・分家の織田一族までもが新当主信長に背いた。

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