困った時の神頼み

七福神に代表される福の神は、人びとが将来に不安を感じて神頼みしたくなる時に流行する。日本人をみていくと、このことがよくわかってくる。
室町時代には朝廷の指導力が低下し、室町幕府の将軍を務める足利家も大して力を持っていなかった。数力国を治める有力な守護大名が各地で勢力を張っているのに、将軍は山城国一国だけの守護大名にすぎない。

こういった背景の中で誰にも頼らず自分のオ覚で財産を築いた京都の商人たちが、しきりに福の神を祭るようになった。この時代に作られた狂言『福の神』から、当時の福の神信仰の性格がうかがえる。

福の神を演じる役者は、笑いながら登場する。そして狂言の「留め」つまり最後の締めの部分で、「はあ― っ、は― っ、はっ、はっ、はっ、はっ‥ 」と高らかに笑う。福の神は笑いが幸福を招く、つまり「笑う門には福来る」という思想を人びとに教える神と考えられていたのである。

農民の信仰、商人の信仰

じつは、「笑う門には福来る」という考えは、人びとが笑えなくなった時、つまり安心して生活できなくなった時に広まるものである。神道には、「あちこちの神様に頼み事をすると、どの神様も助けてくれなくなる」という考えがある。これは、古代の農民の信仰からくるものであった。何代にもわたって同じ村落で生活していた古代の日本人は、自分たちの祖先神であり大地の守り神である氏神様だけを祭っていた。これは亡くなった祖先の霊魂が力を合わせて自分たちの村落を守ってくれるとする祖霊信仰に拠るものであった。

農村の人びとは、自分たちが助け合って農業を営んでいれば氏神様が守ってくれると考えて氏神様だけを祭った。ところが自分の才覚で取引をする商人は、売買に失敗すれば無一文になってしまう。
京都の商人は農村の守り神を祭っても、商売の発展は期待できないと考えた。そのために、かれらはさまざまな福の神を祭るようにした。

商取引の場では、幾つもの才能が必要になる。それゆえ室町時代の商人は武芸の神、学問の神、芸能の神など複数の神を信仰するようになったのである。