福の神信仰の手軽さ

古くから農民たちに氏神として祭られた神様は、 一つの地域の自然を整える権威ある神であった。人びとは種播きの前に春祭りを行なって豊作を願い、稲収穫の後に秋祭りを行なって氏神様に感謝した。
氏神の祭りを疎かにすると、冷害、虫害、台風、日照りなどの災厄に見舞われるともいわれた。地方豪族が祭った氏神の大部分は、大国主命であった。

古代のこれに対する福の神は、個人の願いを叶える神として祭られた。そのためその時の流行によって、さまざまな神様が手軽に願い事を頼める神として勧請(神社やお寺の分霊を迎えて祭ること)されて広まった。全国に見られる赤い鳥居の稲荷神社は、その代表的なものである。

大黒天、弁財天、昆沙門天は、仏の中では格の低いものであった。最も格の高い仏が釈迦如来などの如来で、菩薩、天部、明ずがそれに次ぐ。観世音菩薩などの菩薩は、如来になるための修行中の仏で、天部は仏法に従って仏法の守り神となったインドの神である。

明王とは大日如来に従う、大日如来の使者である。日本人は如来ではなく、日本の神様に似た性格をもつ古代インドの神であつた天部の仏を身近なものに思って福の神としたのである。

現世利益を授けると語る福の神

東京都府中市大国魂神社、茨城県大洗町大洗磯前神社など、大国主命系の神様を祭る有力な神社は多い。しかし古代から続くそのような神社が、七福神詣でに加えられることはまずない。

大黒天の像を祭る寺院や小さな大国主命の神社が、七福神巡りの一つとされる例が大半なのだ。福禄寿、寿老人、布袋尊の中国系の福の神も、日本人にあまり馴染みのない神々である。日本人は、古くは有力な神様を怒らすと怖い神罰が下ると考えていた。

七福神は、御利益がなくてお参りしなくなっても神罰が下らないと思われるほどの格の低い神とされたのであろう。狂言『福の神』に登場する福の神は、福の神を祭った利兵衛、八兵衛の二人にこういつたことを誓う。「私のような福の神に酒や供物を十分に供えるなら、あなたたちを富貴な身にしてあげよう」福の神は一つの地域、あるいは日本全体の守り神として自然を整えて多くの人を助ける有力な神ではなく、お供えをする者だけに、それに合った御利益を授ける神とされたのである。