インドの三柱、中国の三柱、日本の一柱、東洋のさまざまな神様が集まって、七福神になった。七福神は、西洋人を知る前の日本人が国際規模で集めた神々である。戦国時代にポルトガル人が日本に鉄砲を伝えた(一五四三年)ことをきつかけに、日本人はヨーロッパとの貿易を始めた。しかしこの鉄砲伝来より前にあたる室町時代の日本人は、「世界は、日本、中国、インドとその周辺の小さな国から成る」と考えていた。

七福神の中の大黒天、弁財天(弁才天)、毘沙門天は、本来は古代インドで信仰されたバラモン教の神であつた。福禄寿と寿老人は、中国の道教で祭られた星の神で、布袋尊は死後に神格化された中国の実在の人物である。このような外国の多様な神が、日本で人気のある神様である恵比寿様と合わさって七福神となった。

福をもたらす外国の神

インドで誕生した仏教は、シルクロードを通って中国に入った。紀元前五世紀にゴータマ・シッダルタという修行僧が、悟りを得て仏教をひらいた。シッダルタはのちに、釈尊や釈迦の尊称で呼ばれた。仏教は本来は、自ら考えて悟りに到ることを勧めるものであった。

ところがこの仏教が紀元一世紀に、アフガニスタンにあつたクシャナ朝(1〜3世紀)で新たな展開をした。仏教が、「仏像を拝めば、御利益が得られる」と説く大乗仏教に変わったのである。この考えにもとづいてクシャナ朝のガンダーラでは、多くの石仏が作られた。

このような大乗仏教が、すみやかにシルクロードの東方の終点である敦燈を経由して中国に広がった。中国の知識層は、 一世紀末には仏教を知っていたと考えられる。仏教はやがて、中国の庶民に広まった。中国の人びとは御利益のある仏像を拝んで、富、長寿、子孫繁栄を祈った。中国人の最大の望みが、この三つであったからである。

道教の神も、富、長寿、子孫繁栄をもたらすものとして祭られた。中国の庶民にとっては、仏も道教の神も変わらないものであった。中国で祭られたさまざまな仏や道教の神の中で室町時代の禅僧に好まれたものが選ばれて、日本独自の恵比寿の神と共に七福神となったのだ。