古くの日本には七夕という文化はなく伝わってきたのは平安時代の頃と言われています。
ここでは七夕がどのように日本に伝わり変化していったのか、歴史や由来するものを紹介していきます。
平安時代に日本に伝わってきた七夕の行事
今では多くの人が楽しんでいる七夕が伝わってきたのは平安時代の頃です。
日本に伝わった当初は宮中行事といて七夕行事が行われていました。当時の宮中行事のなかでとても重要視されていたのは作物を育てる時期や季節の変化を民に伝えるというものがあり、それらは様々な物を用いて行われていました。
そのため星座をもとにされる七夕の行事はとても重宝されていたようです。
七夕の頃には宮中の人々は桃や梨、なす、うり、大豆、干し鯛、アワビなどを供えて星をながめ、香をたいて、楽を奏で、詩歌を楽しみました。
短冊の元になる物もこの頃に誕生し、里芋の葉にたまった夜露を「天の川のしずく」と考えそのしずくで墨を溶き、古くから神木として考えられていた梶(かじ)の葉に和歌をしるし願い事をしていました。
江戸時代の頃から七夕行事は一般の人も楽しむようになった
一般の人が七夕を楽しむようになったのは江戸時代のころからです。この頃に七夕が五節句にとりこまれ一般庶民に広まりお祝いをしていました。
七夕が一般に広がった当初、人々の願い事の多くは詩歌や習い事の上達などを願い事にしていたようで、野菜や果物をおそなえして願い事をしていました。
梶の葉は神木として大事にされていた事もあり、この頃から今見る事が出来るような五色の紙に願い事を書くようになっていったようです。
⇒ 七夕の短冊はなぜ五色?
現在の七夕
7月7日はおりひめとひこぼしが1年に1度だけ会う事が出来る大切な日、2人が会いたいという願いが叶う日という事も合って、2人のように願い事が叶いますようにと短冊に様々な願い事を書いて笹に吊るすという行事になりました。
笹や竹が使われるのは冬でも緑色を失う事なく生命力の強い植物で不思議な力がある植物として扱われてきました。
竹取物語などをみてもそこに不思議な生命力が授けられていると昔の人が感じ取っていたことが分かります。七夕の時に使用した笹や竹は川や海に飾りごと流すというのはけがれをいっしょに流すという意味も込められているようです。