子供の日とは
1948年・昭和23年に、国民の祝日の一つとして5月5日に制定され、『子供の人格を重んじ、子供の幸福をはかるとともに、母に感謝する日』と定められました。
5月5日は、古来から「端午の節句」として、男の子の健やかな成長を祈願する行事の日でした。
現在でも、「子供の日」と言うよりは「男の節句・端午の節句」の色合いが強く、鯉のぼりや五月人形を飾ることが多いようです。
小学校や幼稚園等では、制定後60年以上が経過していることもあり、「こどもの日」が定着浸透しているため、男女共に「兜」や「こいのぼり」を作ったりもしています。
「こどもの日」と「端午の節句」の違いや境がはっきりとしていないのか、気にならなくなってきているのか、どちらなのでしょうか。
一時は、「5月5日の男の節句」が国の祝祭日になり、「3月3日の女の節句」が祝祭日ではないことに、『男尊女卑』の意味合いを含めて批判もあったとされています。
現在では、むしろ全体的に様々な方面で女性の方が強くなったイメージもあり、男女の別なく5月5日が「子供の日」になっていることに異論は出ていないようです。
それだけ祝祭日としての「子供の日」が、広まり落ち着いたということでしょう。
4月末から5月に続く「ゴールデンウィーク」の最後の祝祭日ですが、制定の際に「長く続く休日が望ましい」との配慮もあったとされています。
ところで、「子供の日」制定の中に、子供に関しての言葉があるのは当然ですが、『母に感謝する』という言葉が添えられています。
添えるという意味同様に、「子供の日」は喧伝され浸透もしていますが、母への感謝についてはあまり見聞きしませんね。
母親無くては子供は生まれませんし育ちませんから、もっと『母と子』の部分を強調しても良いのではと感じました。
子供の日の由来や意味は
中国から日本に伝わった「端午の節句・五月最初の午の日・五月五日の節句」は、時代は奈良から平安の時代でした。
この頃は、五節句の「人日、上巳、端午、七夕、重陽」として、季節ごとに身の穢れを祓う日とされていました。
貴族たちは、これらの日に薬草摘みに出かけたといわれています。
「薬玉・くすだま」と呼ばれる薬草の玉を贈り物にしたり、身体の穢れを祓うとされた菖蒲を使って、健康と厄除けを祈願しました。
武士の時代にこの菖蒲が、尚武(武を尊ぶ)に通じるとして、端午の節句を男の子の節句として祝うようになって行きます。
鯉のぼりや五月人形などを飾るようになったのは、江戸時代の商人文化の流れのようです。
五月人形の鎧や兜などを飾る風習は、戦いに出て争うものではなく、男子の身を守って健康に成長するように願ったものなのです。
また、時代ははっきりしませんが、「早乙女」と呼ばれた若い女性たちが、田植えの前に身を清めた由来もあります。
田植えの前に穢れを祓うために、菖蒲と蓬で屋根を覆った小屋で「物忌みのため」にこもったそうです。
稲作文化の日本での、5月の田植えなどの伝統行事も考えて合わされた、「子供の日」の設定なのでしょうか。
男女関係無く、5月5日が「こどもの日」とされたのは、当初の由来が『男の子』のみの日ではなかったから、と考えられます。
『端午の節句』が男の子の節句として祝われるようになったのは、「武家の時代」からと歴史の中ではあまり古くはないことでも、納得はできますね。
世界各国に「こどもの日」は存在している
国際連合の「世界こどもの日」をはじめ、多くの国や地域で祝日とされています。
1920年に、トルコで4月23日を国家主権の子供の日と定められました。
1925年に、ジュネーブの子供の福祉世界会議で、6月1日が「国際子供の日」として制定。
1954年に、国際連合総会による「世界こどもの日」が、11月20日と制定されました。
子供たちの相互理解と、福祉の増進を目的にした児童の権利に関する宣言と、児童の権利に関する条約が、採決されました。
この11月20日に「子供の日」を制定している国もありますが、6月1日を祝日としている国も多いようです。
それぞれの国や地域が、それぞれの国や地域の理由で「子供の日」を制定しています。
こうしてみますと、日本は国連制定よりは早く、「子供の日」を国の祝祭日にしています。
大正時代から、「児童愛護デー」として活動していた団体があったようですが、はっきりしません。
国会に「子供の日を祝日とする請願」が寄せられた際、5月5日を希望するものが多かったのが、理由とされているそうです。