父の日とは

母の日に対しての父の日ですが、6月の第3日曜日とされています。
母の日ほど深くは浸透していませんが、商業的には喧伝されてはいるようですね。
当然、父親への感謝を込めた日なのですが、母親は子供誕生には絶対に必要な存在であるのに対して、父親は誕生後の経済的な意味合いでの存在感としては必要であっても、絶対的な存在感は少し薄いように思います。

母親は胎内で10ヶ月間子供を育んで、猛烈な陣痛に耐えて出産します。
父親は種の提供と生まれた後の責任で、「父親」になるともいえると思います。

『シングルマザー』と言う言葉があるように、父親なしでも子育てする強い女性が増えてもいるからでしょうか。
父親が子供誕生時に、子供を引き取って育てる『シングルファザー』と言うのは、余り耳にしません。
だからといって、父親の子供に対する愛情が薄い訳でもないのでしょう。
アメリカでの「父の日の由来」が、そのことを充分に物語っているのですから…。

なお、母の日の象徴のカーネーションに対して、父の日はバラの花だそうです。
亡くなった父親には白いバラを、健在の父親には赤いバラが贈られるそうですが、日本ではこの風習はあまり広まっていないようです。
父の日にふさわしいプレゼントとしては、男性が好むアルコールやつまみなどの肴類、装身具(ベルトやネクタイ)、衣類などが好まれているようです。
どちらにしても、親あっての今現在の自分なのですから、自分なりの感謝の表し方は考えてもよいのではないでしょうか。

母の日同様に、世界各国にも「父の日」は存在しますが、母の日が母への感謝とされているのに対して微妙に違っているようです。
台湾の「父親節」では、パパと「88」の発音が同じことから8月8日とされてました。
ロシアの『祖国防衛の日』のように、軍人や退役軍人に感謝すると共に、父親・夫・男性にも感謝する日ということものもあります。
ドイツでは、国の休日の昇天日(復活祭の39日後の木曜日)が、「父の日」や「男の日」「紳士の日」となっています。

父の日の由来や意味は

アメリカ・ワシントン州在住のソノラ・スマート・ドット夫人の提唱から始まったとされています。
彼女の父親は、南北戦争に招集されましたが、母親は子供6人の養育の過労で、父親の復員後に亡くなりました。
父親は男手一つで、子供たち全てを育て上げました。

彼女は、教会での「母の日」の説法を聞き、「父の日」の無いことを不思議に思ったようです。
父親は、全てを犠牲にして6人の子供を育て上げて、全員の成人の後に亡くなったのです。
父親も母親と同様に愛され、その功労を認められるべきではないのか、と…。

ドット婦人は、1910年に教会に嘆願し、父の誕生日の6月に「父親のために感謝する日」として祝典を催してもらいました。
50年余り後の1966年、アメリカ合衆国の第36代大統領によって、父親の日を称賛するという大統領告示で、6月の第3日曜日が父の日に定められました。
1972年、正式に国の承認を得て、「父の日」は記念日に制定されます。

母の日の制定と違い、父の日の制定には時間を要したようです。
子供を育てることに対しての、「感謝と称賛」は発端としては同じです。
アメリカから伝わった際に、母の日のカーネーションと同様に、父の日は墓前に捧げられる白バラが象徴とされています。

しかし、日本での父の日の認知に時間が掛かったため、父の日にバラが贈られる風習は定着しなかったようです。
「父の日の黄色いリボンキャンペーン」が開始されたのは1981年頃、日本メンズファッション協会が提唱したものです。
身を守る、愛する人の無事を祈るという意味合いから、黄色がイメージカラーとして選定されています。
これがきっかけになって、黄色いバラやリボンを飾ったプレゼントが、父親に贈られるようになったといいます。

同協会では、「日本ファザーズ・ディ委員会」として、日本で最も素敵なお父さんを選ぶ「ベストファーザー イエローリボン賞」を開催してもいます。