蛇を従えた弁財天、 銭を清める銭洗弁天

宇賀弁才天は、日本独自の穀物神・宇賀神と仏教の弁財天が習合した神格です。宇賀神は老翁の顔に蛇の体を持つ姿で表され、稲荷信仰とも関連する五穀豊穣の神です。この習合は平安時代末期(12世紀頃)に始まり、鎌倉時代に広く定着しました。宇賀弁才天像は頭上に蛇体の宇賀神を載せた弁財天の姿で表現され、竹生島の宝厳寺(滋賀県)や江島神社(神奈川県)に代表的な像が現存しています。

宇賀神と弁財天が習合する

弁財天と蛇の結びつきは複数の文化的要因があります。インドではナーガ(蛇神)が水の守護者とされ、サラスヴァティーの眷属でした。日本では蛇は水神・農業神の化身と考えられ、特に白蛇は弁財天の使いとして信仰されています。岩国市の岩国白蛇神社では天然記念物の白蛇を弁財天の使いとして保護しており、白蛇の生息地は国の天然記念物に指定されています。巳の日(特に己巳の日)は弁財天の縁日とされ、60日に一度の己巳の日には各地の弁天社が賑わいます。

鎌倉時代に宇賀神という、豊穣や商売繁昌をもたらす神様の信仰が流行した。この宇賀神が、稲荷神社の祭神である宇迦之御魂神と同一の神であると説明されることもある。

『古事記』の系譜は、宇迦之御魂神は素喪鳴尊の子神の中の一柱とする。宇賀神信仰が広まってまもない時期に、宇賀神は弁財天と神仏習合した。

鎌倉市の銭洗弁天は、宇賀福神社の別名をもつが、ここは宇賀神と習合した弁財天を祭る神社であった。

宇賀神と習合した弁財天を、宇賀弁才天と呼ぶこともある。宇賀弁才天は、天女の姿で八本の腕を持ち、頭の上に老人の顔をした白蛇をのせているといわれた。この説明に従えば、宇賀弁才天は二本の腕で琵琶を弾く弁財天と異なる形の弁財天となる。

白蛇を従えた弁天様

銭洗弁天として最も有名な鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社は、源頼朝が1185年(文治元年)に巳の年・巳の月・巳の日の夢告に従い創建したと伝えられています。境内の洞窟に湧く霊水で銭を洗うと何倍にも増えるという信仰は鎌倉時代から続いています。同様の銭洗い信仰は全国に広がり、東京都の小網神社(日本橋)や京都の六波羅蜜寺など、各地の弁財天社で銭洗い行事が行われています。年間約200万人が銭洗弁天を参拝するとされています。

鎌倉時代の宇賀弁才天信仰には、密教からくる呪術的性格が強くみられた。秘儀を行なって宇賀弁才天を祭れば、思いのままに福財を得られるといわれたのだ。このような宇賀弁才天の呪的要素は、かつて「三弁才天」と言われた厳島、竹生島、江の島をはじめとする弁財天がらみの神社に広まっていた。

しかし明治時代はじめの神仏分離によつて、弁財天を祭る神社の密教的性格は、一掃された。

鎌倉の銭洗弁天は、もとは涌き水の水源で水を授けてくれる土地の守り神を祭る神社であったと考えられる。そこに宇賀神信仰の要素が伝わり、さらに土地の神が神仏習合で弁財天になっていった。

古くは銭洗弁天のもとになった土地の神の神社の信者が、そこの境内の洞窟に出るきれいな涌き水で体を清める祓いを行なっていたのであろう。そして財運の神である弁財天が祭られるようになったのちに、銅銭を洗う習俗が作られたとみられる。しかしそれは本来は金儲けのために犯したさまざまな罪や機れを清めるもので、銭を何倍にもふやす呪術ではなかった。

弁財天と蛇信仰の関連

信仰の形態 内容 代表的な社寺
宇賀弁才天 頭上に蛇体の宇賀神を載せた弁財天像 竹生島宝厳寺・江島神社
白蛇信仰 白蛇を弁財天の使いとして崇拝 岩国白蛇神社(天然記念物)
銭洗弁天 霊水で銭を洗い財運向上を祈願 銭洗弁財天宇賀福神社(鎌倉)
己巳の日 60日に一度の弁財天の特別縁日 全国の弁財天社寺
巳の日参り 12日に一度の弁財天の縁日 全国の弁財天社寺

よくある質問

銭洗弁天とは何ですか?

銭洗弁天は、境内の霊水で銭を洗うと金運が上がるとされる弁財天の信仰形態です。鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社が最も有名で、1185年に源頼朝が夢告に従い創建したと伝えられています。年間約200万人が参拝する人気スポットです。

弁財天の縁日はいつですか?

弁財天の縁日は12日に一度の「巳の日」です。特に60日に一度巡ってくる「己巳(つちのとみ)の日」は特別な縁日とされ、各地の弁財天社寺で特別な祈祷や行事が行われます。

参考文献・出典

著者情報

本記事は日本の伝統文化と七福神信仰に関する専門的な知識を持つライターが執筆しました。神仏習合や民間信仰の研究成果を基に、正確でわかりやすい情報提供を心がけています。

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