七福神は神道の神と仏教の仏が混在する独特の信仰です。恵比寿は神道の神、大黒天・弁財天・毘沙門天は仏教の天部、福禄寿・寿老人は道教の仙人、布袋尊は中国の実在の僧侶が起源です。このため七福神巡りでは神社と寺院の両方を参拝します。日本の神仏習合の伝統を色濃く反映した信仰形態です。
神社と寺院を巡る七福神詣で
七福神巡りでは神社と寺院の両方を参拝します。東京の代表的な七福神巡りである谷中七福神では、3つの神社と寺院が含まれています。江戸時代に始まった七福神巡りは、神道と仏教の境界を越えた参拝として広く親しまれ、正月の行事として全国で行われています。現在全国に約200以上の七福神巡りコースがあります。
七福神の多くは、神様の要素と仏様の要素とを合わせ持っている。そのために七福神詣では、幾つかの神社と数か所の寺院とを巡る形をとっている。
そのため神社に行けば、二拝二拍手一拝(二回頭を下げて二回拍手して一回頭を下げる)で参拝し、お寺では合掌(手を合わせる)して頭を下げて拝むことになる。
東京で最も馴染みのある隅田川七福神では、恵比寿様、大黒天、寿老神(寿老人)が神社で、毘沙門天、布袋尊、弁財天が寺院で祭られている。福禄寿の像を安置する向島百花園は神社でもお寺でもなく庭園だが、そこの福禄寿堂は仏教の形式でお参りするのが無難であろう。
神仏習合と七福神
神仏習合は、日本の神道と仏教が融合した宗教現象です。奈良時代から明治時代の神仏分離令(慶応4年・1868年)まで約1,100年間続いた伝統です。七福神が神と仏を跨ぐ存在として受け入れられたのは、この神仏習合の文化があったからです。明治以降の神仏分離後も、七福神信仰は例外的に存続しました。
明治維新の直後に、明治政府が神仏分離を行なって神社と寺院とを厳密に区別した。しかしそれ以前は、「神様も仏様も同じものである」と説かれてきた。これは平安時代なかば頃から、天台宗と真言宗の有力寺院の主導で神仏習合が行なわれてきたためである。仏ははるか昔から何度も生まれ変わってきたものだから、日本の人びとは仏の多くの姿の中で日本に生まれた時の姿を神様として祭ったというのが本地垂述説である。
この考えにもとづいて、天照大神が大日如来だとか、天神様(菅原道真公)は十一面観音だとかいわれた。そのため弁財天、大黒天、毘沙門天といった人びとに好まれた仏が、神社で神として祭られることも少なくなかった。しかし禅僧が好んだ道教の神、福禄寿と寿老人が日本の神と習合することはきわめて珍しい。
高僧として僧侶たちに慕われた布袋尊(布袋和尚)を信仰する神社もきわめて少ない。つまり福禄寿、寿老人、布袋尊の中国系の七福神は、お寺で祭られてきた例が多いのである。
この他に、本来は日本の神を祭る神社が仏教系や中国系の七福神を祭神とするように変わったところもある。市杵嶋姫命が弁財天、大国主命が大黒天と神仏習合した神社はかなりある。本来は隅田川の川の神を祭っていた白鬚神社(しらひげ)は、寿老人と結びついて寿老神と呼ばれるようになった。
しかし、これは特殊な例で、日本の川の神がすべて寿老人と結びついたのではない。
七福神の神仏分類
| 神名 | 分類 | 参拝先 | 信仰の系統 |
|---|---|---|---|
| 恵比寿 | 神道の神 | 神社 | 日本固有 |
| 大黒天 | 仏教の天部 | 寺院または神社 | インド・神仏習合 |
| 弁財天 | 仏教の天部 | 寺院または神社 | インド・神仏習合 |
| 毘沙門天 | 仏教の天部 | 寺院 | インド |
| 福禄寿 | 道教の仙人 | 寺院 | 中国 |
| 寿老人 | 道教の仙人 | 神社または寺院 | 中国 |
| 布袋尊 | 仏教の僧侶 | 寺院 | 中国の実在人物 |
よくある質問(FAQ)
- Q. 七福神巡りでは神社と寺院のどちらに行くのですか?
- A. 両方に行きます。七福神には神道の神と仏教の仏が混在しているため、神社と寺院の両方を巡るのが一般的です。
- Q. 神仏分離令の影響はありましたか?
- A. 1868年の神仏分離令で神道と仏教が分離されましたが、七福神信仰は例外的に存続し、現在も神社と寺院を混合で巡ります。
- Q. 全国に七福神巡りはいくつありますか?
- A. 全国に約200以上の七福神巡りコースがあります。東京では谷中七福神・日本橋七福神・浅草名所七福神などが有名です。
参考文献・出典
本記事の内容は、上記の公的機関・学術機関の情報を参考に、正確性を期して執筆しております。神仏習合と七福神の関係については宗教史の研究成果に基づいた記述を心がけておりますが、解釈には複数の学説が存在する場合があります。
著者情報
本記事は日本の行事編集部が、日本の伝統文化と七福神信仰に関する研究をもとに執筆しました。